こばじの家

幸せに根拠は必要ない。

【文章力】綺麗な文章を書くために

こばじです。



文章力について

思ったことがあるので

まとめてみました。



はじめに

※本記事は自戒を込めています。

仕事に限らずブログやTwitterなどで文を書いていて、

自分の文章は綺麗ではないと思っています。



ただそれは置いといて、

最近綺麗でない文を

見かける機会が増えてしまったと感じます。



YouTube動画の文は綺麗でない場合がある

最近のYouTube動画は親切ですよね。

字幕やテロップを入れてくれています。



しかしその字幕やテロップを見ていると、

綺麗でない書き方があるんですよね。



例えば、以下のような文が見受けられます。

  • 「目的は次の仕事に繋げることが目的です。」
  • 「新幹線は自動車よりも早い。」



これ、違和感ありませんか?

以下が正しいはずです。

  • 「目的は次の仕事に繋げることが目的です。」
    ⇒「目的は次の仕事に繋げることです。」または「次の仕事に繋げることが目的です。」
  • 「新幹線は自動車よりも早い。」
    ⇒「新幹線は自動車よりも速い。」



前者については、

「目的は目的です。」と言っているようなもの。

小泉構文みたいですね。



後者については、

「速い」はスピードを表すもの(英語だとfast)、

「早い」は時間を表すもの(英語だとearly)です。



※もちろん、YouTubeの動画にも

綺麗な文が使われているものはたくさんあります。



書籍は綺麗

一方、

これを対照として挙げるのがふさわしいかわかりませんが、

書籍の表現は比較的綺麗だと思います。



なぜ書籍は綺麗なのか?

自分なりに考えてみました。



YouTubeと書籍の違い

ズバリ、

綺麗かどうかの観点でレビューされているか

(チェックされているか)だと思います。



もちろんYouTubeの動画も

レビューはされていると思いますが、

そのレビューの質は、

書籍には到底敵わないでしょう。



書籍の場合は、

ベテランの編集者によるレビュー入るはずです。

「校正」と言われるものですね。



ベテランでないと

綺麗かどうかの観点でレビューできない、

というわけではないものの、



レビューの質は、

YouTubeとは段違いだと思います。



現状何が悪いのか

私が老婆心ながら気にしているのは、

現在の子ども世代が、

上述の違和感を覚えなくなってしまうことです。



10代の9割以上が

YouTubeを利用しているとのデータもあります。

シングメディア様の記事より



その子どもたちの中で、

日頃のインプットに疑いを持つ子どもは多くないでしょう。



そういう子どもたちがある程度大人になった時、

「昨日楽しかったことは、友達とイオンモールに行ったことが楽しかったです」のような

表現をしてしまわないかを気にしています。



小学生なら可愛いですが、大人だと心配です。

綺麗な文を書きたい



綺麗な文を書くために

綺麗な文を書くために必要なこと、

それは、

綺麗な文を読み続けることだと思います。



私は仕事柄プログラミングをすることがあります。

その時周囲からよく言われるのは

「美しいソースコード(プログラム)を見ましょう」

ということです。



また、趣味で吹奏楽をやっています。

その時ずっと言われ続けて、

かつ思い続けているのは

「綺麗な音を出すために、綺麗な音を聞こう」

ということです。



綺麗なものを見ていれば感性が磨かれる、

とはよく言われるものです。



それと同じように、

綺麗な文を書くためには、

綺麗な文を読み続けることが大切だと思います。



おわりに

これだけ偉そうに書いていますが、

私は私の文を綺麗だとはまだ思っていません。



そしてその「綺麗ではない」という認識は

正しいと思います。



綺麗な文を書くために、

これからも綺麗な文を読み続けます。