
こばじです。
突然ですが、私は「毒」と「薬」って、意外と近いものなんじゃないかと思っています。
もちろん、すべての毒と薬が同じ物質というわけではありません。
でも化学の世界では、よく似た構造を持つ物質でも、ほんの少し構造が違うだけで性質が大きく変わることがあります。
たった一つの原子があるかないか。
あるいは、原子のつながり方が少し違うだけ。
それだけで、体にとって有用なものになったり、有害なものになったりする。
そんなことを考えていたら、
「これって育児にも似ているんじゃないか?」
と思いました。
「遊びを終わらせる」だけなら同じ
例えば、子どもと遊んでいるとき。
そろそろ夕飯の時間だから、遊びを終わらせたい。
これは普通のことですよね。
「はい、おしまい。ご飯食べるよ」
と言って遊びを終わらせる。
でも、2歳くらいの子どもからすると、さっきまで楽しく遊んでいたのに、突然終わったことになります。
大人からすると、
「もう時間だから仕方ない」
なのですが、子どもからすると、
「え? 今? まだ遊びたいんだけど」
となる。
そこで、例えば少し前に、
「あと5分くらいしたらおしまいにしようね」
と伝えておく。
あるいは、
「この遊びが終わったらおしまいにしよう」
と区切りを伝えておく。
やっていることは、結局同じです。
遊びを終わらせる。
でも、子どもにとっての受け止め方はかなり違うと思います。
「予告」という小さなパーツ
ここで面白いなと思ったのが、
「予告」という小さなパーツが入るだけで、同じ行動が違うものになる
ということです。
遊びを終わらせること自体が悪いわけではありません。
子どもには生活の中で、遊びを終わらせなければならない場面があります。
でも、
「もう終わり!」
だけなのか、
「あと5分で終わりね」
が入っているのか。
たった一言の違いです。
化学でいうなら、構造式のどこかに小さなパーツが一つ加わったようなもの。
その一言があることで、子どもが「もうすぐ終わるんだ」と心の準備をする時間ができます。
逆に、その一言が抜けていると、親としては同じことをしているつもりでも、子どもにとっては突然の出来事になってしまう。
余計な一言も、同じなのかもしれない
そして、逆のこともあると思います。
必要な一言が足りないだけではなく、余計な一言を足してしまうこともあります。
例えば、
「もうおしまいだよ」
だけで十分なのに、
「いつまで遊んでるの? もう何回言ったら分かるの?」
まで付けてしまう。
伝えたいことは、
「遊びを終わらせる時間だよ」
という一つだけだったはずです。
そこに余計な言葉を足すことで、子どもに伝わるものが変わってしまうことがあります。
もちろん、親だって人間です。
毎回きれいな声かけができるわけではありません。
私だって、余計な一言を付けてしまうことがあります。
必要なものを足して、余計なものを足さない
最近の私は、育児で「何を言うか」だけではなく、
「何を足すべきで、何を足さなくていいのか」
を少し意識するようになりました。
子どもに何かをしてほしいとき、正しいことを言えば、それだけでうまくいくわけではありません。
必要な情報が一つ抜けているだけで伝わり方が変わることもある。
反対に、余計な一言を足したことで、せっかく伝えたいことが違う形で伝わってしまうこともある。
だから育児って、少し化学に似ているのかもしれません。
たった一つのパーツが違うだけで、性質が変わる。
それが、声かけにおける「予告」だったり、「余計な一言を言わない」ことだったりする。
完璧じゃなくても、気づければいい
もちろん、毎回完璧にできるわけではありません。
突然予定が変わることもありますし、親に余裕がない日もあります。
「今日は予告できなかったな」
という日だってあります。
でも、そこで「ちゃんとできなかった」と落ち込む必要もないと思っています。
「あ、こういうときは予告があると違うんだな」
と気づけたら、次に活かせばいい。
育児では、ものすごく大きなことをしなくても、たった一言を足すだけで子どもとのやり取りが少し変わることがあります。
逆に、たった一言を飲み込むだけで、余計な摩擦を減らせることもあります。
薬と毒が、ほんの小さな構造の違いで分かれることがあるように。
育児も、
「必要な一言を足す」
「余計な一言を足さない」
という小さな違いが、子どもにとっての体験を変えるのかもしれません。
そう考えると、明日の育児で使う言葉を、ほんの少しだけ丁寧に選んでみたくなります。


