こばじです。
先日、私の(一方的かもしれない)大親友、
ジェイドさん(楓雪 空翠 (id:JadeSeele)さん)が書いていらした
以下の記事を読みました↓↓
そこで、「消極的義務」と「積極的義務」
という言葉を思い出したので、記事にします。
目次
はじめに
簡単な自己紹介
静岡県に住むIT企業勤務の20代です。
詳細な自己紹介は以下をご覧ください↓↓
この記事は、リマスターです。
この記事は、以前私が運営していたブログ
「こばじの部屋」に記載したものを校正、再投稿しているものです。
「こばじの部屋」がどうなったのかについては、
自己紹介記事でも説明しているので、よかったらご覧ください↓↓
参考にした本
「論理的思考力を鍛える33の思考実験(北村良子 著、彩図社)」です。
この本には書名のとおり、
論理的思考力を鍛えられるような問いが書かれています。
最近は有名な「トロッコ問題(※)」の他、
「1=0.999…」が成り立つ不思議など、
面白い思考実験がたくさんあります。
このままでは進路先にいる5人が確実に犠牲になる。
あなたの目の前には分岐器があり、
分岐器を使い進路を変えることでその5人は確実に助かるが、
変えた場合進路先にいる1人が確実に犠牲になる。
あなたは分岐器を使う?
というような問題です。
「消極的義務」と「積極的義務」
この本では、「消極的義務」と「積極的義務」という言葉が出てきます。
いずれもイギリスの哲学者「フィリッパ・フット」が定義した用語です。
「消極的義務」は不当なことをしない義務を、
「積極的義務」は不利な人に手を差し伸べる義務を指します。
ちょっとわかりにくいですね。
以降で具体的に説明します。
ちなみにこのフィリッパ・フットは、
トロッコ問題も提起した張本人です。
身の回りの「消極的義務」と「積極的義務」
一般的に
消極的義務を果たすことの方が
積極的義務を果たすことよりも重要である
と言われています。
そのことを、この本に書かれている例を交えて説明していきます。
項目 | 例 |
---|---|
消極的義務を果たす | 目の前の子どもに暴力を振るわない |
消極的義務を果たさない | 目の前の子どもに暴力を振るう |
積極的義務を果たす | 目の前にいる怪我した子どもに手当をする |
積極的義務を果たさない | 目の前にいる怪我した子どもに手当をしない |
確かに、
目の前の子どもに暴力を振るわない(=消極的義務を果たす)ことの方が、
目の前にいる怪我した子どもに手当をする(=積極的義務を果たす)ことよりも
重要視されるのではないでしょうか。
んで、ジェイドさんの記事との関連性は…?
長々と書きましたが、
なぜジェイドさんの記事を読んで
このことを書こうと思ったのか。
それを説明しますね^^
私の読解が正しければ、
ジェイドさんの記事の中で次のようなことが書かれています。
- いじめられている人に対して何ができるか?
- 助けたいけれど、結局傍観者であることしかできない
- もし直接止めにかかったら、自分が何されるかわからない
このような場合において、
消極的義務、積極的義務はそれぞれ以下です。
- 消極的義務
- いじめられている人に掴みかからない
- いじめられている人に殴りかからない
- 積極的義務
- いじめている人を直接止める
※ここでは単純化のために、
いじめの例として「掴みかかる」「殴りかかる」
というものを挙げておきます。
いずれも「いじめ」という言葉では
済まされないと個人的には考えています。
ここでも、止めに行けたら良いですが、
それは積極的義務の話。
まずは加担しないこと、
つまり消極的義務を果たすことが重要なんですよね。
まとめ
- 義務には「消極的義務」と「積極的義務」がある
- 「消極的義務」は不当なことをしない義務
- 「積極的義務」は不利な人に手を差し伸べる義務
- 一般に「消極的義務」を果たすことの方が「積極的義務」を果たすことよりも重要視される
- ジェイドさんの記事に、具体例がありました。
おわりに
結びではありますが、
ジェイドさん、
とても参考になる記事、ありがとうございました。
また、冒頭で紹介したこの本は、
トロッコ問題の他にも多くの問題、
思考実験が書かれていてとても面白いです。
ちなみに、先述した「1=0.999…」は、
私が中学に入学する頃進研ゼミの教材で読んで
とても驚いたことを覚えています。
こちらについてはよかったらググってみてください。
もしかしたら記事にするかも。(笑)
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