こばじの家

幸せに根拠は必要ない。

「自分が幸せかどうか決めるのは自分自身」という話

こばじです。

今回は、



「幸せ」の主語は自分だけ



という話をします。

目次

はじめに

簡単な自己紹介

静岡県に住むIT企業勤務の20代です。

詳細な自己紹介は以下をご覧ください↓↓

kobaji-kobaji.hatenablog.com

私は、自分以外の人が「幸せかどうか」を判断しない

私は、「私は幸せだ」とよく言いますが、

自分以外の人に対して「あなたは幸せだ」「この人は幸せだ」

ということを言いません。



出来事に対して、「よかったね」と言うことはありますが、

「幸せだね!」とは言いません。



なぜ自分以外を主語にした場合の表現を私が使わないのか…?

考えてみました。



数分考えて出た結論、

それは次の通りでした。

幸せかどうかって、自分で決めることだと思うから

幸せかどうかって、自分で決めること

だという強い信念があるからでした。



今日の夜ご飯が美味しかったから幸せ、

美味しい筑前煮を作ることができたから幸せ、

朝早く起きられたから幸せ。



どんな基準でも、どんな根拠でもいい、

自分が幸せかどうかを決めるのは自分自身なんだ、

と再び思いました。



であれば、幸せだと思っていた方が

幸せだと思います。



幸せかどうかを自分で決められるなら、

どんな理由があろうとも、

幸せだと思っていた方が得だな

と強く感じています。

まとめ

  • 幸せかどうかは自分で決めること
  • であれば、幸せだと感じていた方が得

おわりに

幸せかどうかを人が決めるのって、

なんだか違和感があります。



皆さまは、どんな時に幸せだなぁと感じますか?

是非コメントで教えてください^^



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